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​​~部員からのコメント~

「なんて優しいきれいな音色♫」 短大の新入生歓迎会のミニ演奏での初めての出会いでした。 あの楽器が弾いてみたい!最初は指先が痛くて…でも各パートのハーモニーが楽しくて2年間熱中していました。 庄源さんの友人である藤島秀敏先生から指導を受けていました。 卒業してから同期の3人でK M Eに入部。金大や2つの短大のOBがほとんどでした。何と2期生だとか! 各パート2、3人と少なく演奏会は金大生の賛助を得て🎶 初期の頃の練習場所は橋場町の北國新聞販売所の2階でした(現在は🅿︎) 練習後は近所の「禁煙室」へ行くのがお決まり。庄源さんや東さんがフランス音楽について熱く語り合っていたのを思い出します。 その後結婚、子育てと17年のブランクの後、20周年演奏会でOB、OGにお誘いがあり、1回だけの参加のつもりがあれから30年! K M Eの仲間と家族のサポートがあり続けてこられた事に感謝です 今までに何人かの大切な仲間との悲しい別れがありました… 今日は天国に届くように心を込めて演奏したいと思います。

​マンドラ 麻生 順子(2期生)

私が金沢マンドリンアンサンブルに入部したきっかけは、昭和62年(1987年)7月に開催された第3回北陸三県マンドリン合同演奏会を聴いて、その迫力のある演奏に感動し、社会人になっても大人数で演奏活動をしたいと思ったことでした。 8月に金沢マンドリンアンサンブルに入部し、途中、練習に十分に参加できない時期もありましたが、約38年間、演奏活動を続けています。(大学時代も含めると演奏活動は、約42年間になります。) 私は、マンドリンアンサンブルでは、クラッシクギターを弾いています。そのギターは、大学時代から使用しており、私の演奏活動と同じ使用年数です。これまでに2回修理をしていますが、修理から戻って来るたびに、ギターから「まだまだ演奏が続けられるよ」と言われているような気がしています。これからも細く長く、活動を続けていくことができればと思っています。 今後とも、皆様、よろしくお願いいたします。

ギター 上野 靖(9期生)

社会人二年目のとき「富山(TPE)と演奏会やるぞー」と誘われたのが最初でした。合わせて20余名で和気あいあいのスタートでした。結婚も経て約3年活動しました。 そして子育ても落ち着き15年ほどのブランクの後、合演で再スタートを切りました。「序曲」の変拍子を何度も何度も譜面を追いながら聴いて。 そこから23年。いろんな曲いろんな方々との出会いがあり、楽しい思い出いっぱいです。この数年はほぼ参加できずにいましたが、50周年の年に参加できてうれしいです。家族の協力のもと、今仲間と合奏を楽しめること、聴いていただける機会があることに感謝しています。KMEが更に続いていきますように。

マンドリン 村井 佳子(8期生)

「私とマンドリンと試練の日々」  私とマンドリンの出会いは、18歳の夏でした。当時大好きだった歌手N.Kさんが弾いている、可愛らしくて心洗われるような音色の楽器、それがマンドリンでした。  大学入学後すぐにマンドリンクラブの門をたたきました。しかし楽器が弾ける幸せと同時に訪れたのは試練の日々の始まりでした。  楽譜の読めない私は、同級生についていくために必死でした。練習のしすぎで左手の指に何度も血まめもできました。それでも先輩や同級生のおかげで何とか4年間マンドリンを続けることができました。  卒業後すぐにKMEに入部しました。そこで再び試練が訪れます。指揮者T.H氏の『コンマスやってくれんか?』との天使(悪魔?)の囁きに断る術はありませんでした。「血まめ」とは再び友達になりました。 その後しばらくして30年マンドリンから離れることになりますが、今考えてみるとこの時期が1番の試練だったように思います。  10年前の40周年記念演奏会をきっかけに、KMEに復帰しました。しかし、2年ほど経った頃、再び試練が訪れます。  当時部長のN.H氏から部長就任への打診があり、断れない私は再び引き受けてしまうのです。途中、コロナ禍(これも試練)もありましたが、KMEの皆さんのサポートのおかげで何とか5年間務めることができました。  今は大好きなマンドリンとKMEの皆さんに囲まれ幸せを感じつつ、今日もたぶん必死の形相で弾いています。笑顔で演奏できる日を夢見てこれからも試練の日々は続きます。

マンドリン 三林 俊一(9期生)

「50周年の想い」  学生時代にマンドリン音楽を知り、温かみのあるマンドラに夢中になりました。社会人になってKMEに入り、たくさんの仲間と出会い、同じ時間を過ごしてきました。ひとつの演奏会が終わるたび、あ〜終わっちゃった、としばらく腑抜けになりますが、これ自分の頑張った証、と思ってまた次の目標に向かいます。音楽には厳しくありたいので、いい演奏をするために仲間とは良い関係を築いていたい、といつも心がけてきました。ずっと指揮者として引っ張って下さった東さんには感謝の気持ちがいっぱいです。 もちろん出会ったすべての人たちにも。

マンドラ 川田 睦美 (11期生)

クラブに入会して30数年。 瀬戸さんとは60数年。 幸せな出会いがいっぱいです。 karakoさんには、小さな依頼演奏に始まり、アドバイスやリード、本当に感謝しかありません。 西さんは裏方でいつもお世話して下さり、そしてクラブの皆さんと演奏できたこと、本当に楽しい時間でした。 ありがとうございます。またよろしくね。

マンドリン 宮川 静子(14期生)

1990年に大学でマンドラを始め、1992年に大学で指揮者となり、1994年、たまたま金沢に赴任されていた大学の先輩に誘われて金沢マンドリンアンサンブルに入部、1997年に初めてアンサンブルの指揮台に立ち・・・よく35年も続いたなと我が事ながら思います。そして今や一家総出で定期演奏会に出演しているという・・・忙しい中にも充実した日々を過ごさせていただきました。金沢マンドリンアンサンブル50年の輝かしい節目に、素晴らしい新曲の初演と、メイン曲の指揮をさせていただく栄誉を頂戴いたしました。これまでのアンサンブルでの日々を思い浮かべながら、『最後のステージ』を務めさせていただきます。

指揮者 細木 信哉(15期生)

私のKMEステージデビューは、1993年よみうりホールでした。確か本番2ヶ月前くらいに入部し20数年ぶりの演奏にリハから緊張し本番も散々で落ち込んでいたら、上野さんが、『本番はリハより音出てましたよ』その一言に救われ今日まで続けて来れました。感謝です。ありがとうございました。  練習以外では宮川さんのお誘いで日帰りバスツアーやフラフラになりながら歩いた熊野古道、京都のもみじのトンネルに感動したりと、充実した32年間でした。 KMEで出会った仲間に感謝、そして家族にも感謝です。 それにしても・・・ 創立50周年記念演奏会まで参加できるとは・・

ギター 西 ひとみ(14期生)

元部員の転勤を機に、交替で入部したのは何年前だろう。入部後、半年程でよみうりホールの定演に怖いもの知らずで参加。1stが少なく、コンマスの隣で弾くことに。思い出すと 申し訳なさと恥ずかしさで、コンマスの大きな心に感謝です。よく今まで続けて来られたと、よき仲間と合奏練習がとても楽しく心地良かったのだと、つくづく感じます。この後もKMEが、楽しく合奏できる場所であります様に。

マンドリン瀬戸正江(14期生)

「一通のメール」  時を遡ること約3年、2022年7月8日 KMEメンバーから届いた1通のメール。それは、明後日がようやく有観客で開催する三県合同演奏会だと知らせるメールだった。コロナ禍一切の活動から離れ楽器を手にすることもなく過ごしていた自分。その時ふと「久しぶりにマンドリン聴きに行こう」と思い立ち当日、会場へ向かった。ステージ上には懐かしいメンバーの姿。かつてはあの輪の中に自分がいたのか… でももう戻ることはないだろうという不思議かつ複雑な気持ちで客席にいたことを今でも鮮明に覚えている。 その後、沢山のメンバーから「辞めた訳じゃないよね」「戻ってきてね、待ってるよ」と声かけを頂き長いブランクに不安がありつつも活動に復帰、本日50周年記念演奏会を迎える。これまでKMEの歴史に係わってこられた全ての方々の賜物であることに思いを致しステージに立つ。そして何よりもあの時のメールに感謝。

マンドリン 加藤 睦子(17期生)

「KMEに感謝」 私がKMEと出会ったのは、加賀市にある鴨池観察館でした。当時、石川県に転勤して12年が経っていたのですが、石川県にマンドリンの演奏団体があることは全く知りませんでした。サンサーンスの〝白鳥〟を始め鳥に因んだ曲を10人程の部員が演奏するのを聴き、雷に打たれたような衝撃を受け、その場で入部を決めました。関西の中学 高校 大学そして社会人団体でマンドリンにどっぷりと浸かった青春時代を過ごしていた私ですが、結婚と同時に関西とマンドリンの世界から離れ、この日KMEに出会うまで再び楽器を手にする日が来るとは思っていませんでした。その日から、まさに〝堰を切ったように〟というか〝やめられない とまらない〟というか、再びマンドリンにどっぷりと浸る日々が始まり、気づいたらコンミス席に座る私が(笑)定年退職した主人も入部し、今ではKMEは生活の中心になっていると言っても過言ではないと思います。関西では50人100人という規模の大きなオーケストラの活動をしていましたが、KMEでは小編成のアンサンブルや依頼演奏会など、今までとは全く違う世界も楽しませて頂いています。 マンドリンという小さな楽器を通して出会った仲間は、まさに人生の宝物です。これからも、ずっとずっと大切にしていきたいと思います。ありがとうKMEの仲間たち。これからも、どうぞよろしくお願いします。

マンドリン 山越 利江(20期生)

毎年、定期演奏会に向けて選曲が始まる。 新しい曲との出会いにワクワク。 初回練習のバラバラ感が回を重ねて仕上がって来て、素敵なハーモニーとなる。 そうなると今度は作曲者の伝えたいものはなんだろうか、と考える余裕が出てくる。 楽しい仲間達とそんな素敵な時間を共有できて何年経つのだろうか。 50年の長きにわたり守って来られた諸先輩、引き継いで来たメンバー、ここはより良い音楽を、との思いに溢れています。 練習を終えて、今日もいっぱい練習したな〜と指先を見れば、弦ダコが一層硬さを増していた。

マンドラ 前口 浜子(21期生)

今は亡き親友山下成子さんに誘われてKMEに入部しました。 当時の部長は家君、若くてハンサムで親切でした。 何十年ぶりに手にしたマンドリン、思ったより手が動かずこんなはずじゃないと情けなく思ったものです。練習音源をカセットに録音し速さについていけるように何度も繰り返し練習しました。ガシャン!と録音する音大きくてそっと押しました。 今はあの時のがむしゃらさが懐かしいです。 天国で見ててね。成ちゃん、私頑張ってるよ!

マンドリン 三輪 昭江(21期生)

私が入部した2000年は、KMEの歴史のちょうど中間地点あたりです。石川県に馴染みのなかった私にとって、KMEのメンバーが暖かく迎え入れてくれたことは幸せな思い出です。 当時の定期演奏会のメイン曲は、今回と同じ「メリアの平原に立ちて」でした。「ファンタジア九州」の主題である五木の子守唄を奏でていたのは、息子がお腹にいた年の定期演奏会でした。その息子が50周年のステージに一緒に立つことになるとは夢にも思いませんでした。「高丘親王航海記」での熱気のある演奏が印象的だったコントラバスパートの長谷川さんの命日に生まれた子が、KMEでコントラバスを弾いていることに不思議なご縁を感じます。 これまでの演奏曲目の中で特筆すべき二曲ご紹介させていただきます。 「朱雀門」鈴木静一作曲 高田伸一氏による圧巻のナレーションと東さんの音楽観の融合に感動しました。(YouTubeのKME旧チャンネルで視聴いただけます。) https://youtu.be/3JOHjxQ-O-Q?si=S8XTZLZz2gr36ZBg 「弦楽のための組曲」ヤナーチェク作曲 庄源新編曲 2017年の合同演奏会で編曲の庄源さんが指揮する予定でしたが、病状悪化のため細木が引き継ぎました。六楽章の大曲ですが、いつかしっかりと弾き込み再演したい曲です。 (演奏動画公開準備中です) 部員専用インターネット掲示板、その名も「部室」が2001年に開設されました。なんと、2025年の現在も稼働中です。ログを辿れば、折々の思い出が蘇ります。SNS全盛の今でも変えられないものがある…(笑)。これからも、あらゆる世代がマンドリン音楽を楽しめるKMEでありつづけることを目標に活動していきたいと思います。

マンドリン 細木 敦子(21期生)

金沢マンドリンアンサンブルを知ったのは定期演奏会の新聞広告でした。 緊張しながら当時の部長へ連絡し、部員のみなさんとお会いしたことをつい先日のことのように思い出します。 部員のみなさんが温かく迎えてくださって、気づけば20年以上在籍しています。 集まれば年齢的に健康法の話題になったり、時々音楽の話をしたり。 同級生や同僚でもないですが、同じ趣味というだけなのにこんなに長く付き合えるということはKMEの皆さんが魅力的ってことなんでしょうね。 皆さんを見習いつつ今後もがんばっていこうと思います。 最後になりますがKMEの活動を応援してくれる家族に感謝しています。 いつもありがとう。

マンドラ 梁 留奈(22期生)

こんにちは、セカンドパートの牧野です♪ 金沢マンドリンアンサンブルの創立50周年という節目の年に、部員でいられること、光栄に思います。 私の人生の中で、マンドリンは、大変重要な位置を占めています。 マンドリンがなかったら、私の人生は、思い出になる話が、かなり少なくなると思います。 仕事と家庭も大切ですが、割と淡々としてきました。 そこに、華やかな部分を加えてくれたのが、マンドリン活動なのです。 辛い時もありましたが、圧倒的に、楽しいことばかりです。 これからも、続けていけたらいいなと思っております。 本当に、おめでとうございます♪

マンドリン 牧野 晴美(23期生)

これまでのマンドリン人生?合奏Loveです。  マンドリンとの出会いは大学の入学式。初めて聴いた音色、ハーモニーの美しさに惹かれ、迷わず入部を決めました。大学での4年間は正にマンドリン漬け。暇さえあれば仲間と集まり合奏を楽しむ毎日でした。  結婚を機に石川に来てからは、仕事や子育てに追われてマンドリンはお預け。当時はKMEの存在すら知らず、もう合奏はできないと諦めていました。  10年程経って、初めてKMEの存在を知りました。合演の演奏を客席で聴き、迫力のある演奏に引き込まれて入部を即決!10年以上のブランクがあり、練習についていけるか?との不安もありましたが、弾きたい気持ちの方が勝りました。  KMEはとても居心地良く、家庭、職場とも違う人間関係はとても新鮮なものでした。久しぶりの合奏も楽しく、他の楽器にも挑戦したい!と欲が出て、入部1年後にドラに転向。その数年後にはチェロに…。どんどん楽器が大きくなり、その度に新たな魅力に惹きつけられ、気がつけば20年以上の年月。 まだまだこれからもKMEと共に楽しい音楽の時間を……そう願っています。

マンドロンチェロ 棚木 宏子(23期生)

50周年おめでとうございます。50年の内のほんの一時代しか参加していませんが書かせていただきました。遡ること23年前ほどになります。我が家もようやくネット環境が整い、ある日ネットサーフィンをしている際に金沢マンドリンアンサンブルの存在に気が付きました。県外の大学にいたこともあり北陸の地で、こんなにも盛んにマンドリン活動がされていた事を知りませんでした。 大学時代の20代前半の貴重な時間をマンドリンという楽器とともに過ごしたという経緯はありましたが、さほど上手い訳でもなかった事もあり、マンドリン音楽を聴く事、楽器に触れることは社会人になり必要性を感じることはありませんでした。 会社員人生もいろいろなことがあります。一つの転機があったのは職位が変わった事でした。いわゆる降職です。職場では会社の建物の屋上を見上げていたり、ボンヤリとした本当に危ない心境にもなっていた時、子供たちの顔を見ながら何気なく頭に浮かんだのは、大学の時小さな光だったけど、自分なりに輝いていたマンドリンを弾く姿をこの子たちに見てもらいたい…という思いでした。23年前に金沢マンドリンアンサンブルの門を叩き仲間に入れていただきました。 金沢マンドリンアンサンブル…本当に暖かい、涙が出るほど暖かい雰囲気環境だったことを思い出します。 その後単身赴任等もあり再び14年ほども中断することになりましたが、60歳の定年を機に再び仲間に入れていただきました。 今度は23年前の子供たちと共有した思い出ではない、ここでの活動を通して蓄積されていた思い出を、終活の一環として振り返りの活動をさせて頂いてます。 23年前当時と不思議に顔ぶれはさほど変わりなく、あの当時と変わらないけどマンドリン演奏者としてのゴールが見え隠れする中、楽しく活動をしています。 匿名 マンドラパート John  似ていた…ら・し・い。ジョン・レノン様に。 ※John(ジョン)とは高校、大学時代のニックネーム

マンドラ 池上 久哉(25期生)

1975(S50)年に当アンサンブルが設立されて50年。半世紀に渡り継続できたのも、ご来場頂いた皆さまのご支援と叱咤激励、あと諸先輩の弛まぬ情熱による賜物と思います。改めて感謝申し上げます。私は、その設立翌年にマンドリン音楽に出会ったものの、26年のブランクから再会した若輩者です。それでもムーミンこと後藤昌英さんの後を受け2011(H23)年から2023(R5)年、途中2年除き11年間ギターチーフを務めさせて頂きました。 この間、16名の大所帯となったり、部内演でのギターアンサンブルを定例化したりで、大変仲間に助けて頂きました。ソロパートのトラブルをフォロー頂いたこともありました。今は、後ろから周囲の音や運指等に、より愉しみが深まった感があります。想い出深い曲は、入部当時のナレーション付きの朱雀門や、本演奏できなかったレクイエムです。今後も仲間を信頼し感謝しつつ、皆さまの心に響く演奏ができるよう情熱を持って務めたいと思います。

ギター 田原 修(28期生)

金沢は、多くの人が訪れ、そして多くの人がまた違う土地へと去って行く町だと思います。その中で、金沢マンドリンアンサンブルが50周年を迎えられたのは、他者を拒否せず、様々なジャンルの曲を受け入れて演奏してきた姿勢があったからではないかと思います。出身のマンドリンクラブ、技術顧問などバラバラな人達が集まり、お互いが尊重し合ってきたからこそ、50年もの間クラブが存続出来た理由であり、本当にマンドリンという楽器が好き、マンドリン合奏が好きな人達が集まった楽団と思うのです。  そんな楽団を次の世代へバトンを渡すのが僕達の代だと思います。バトンを渡す中で、北陸でマンドリンしててよかったと思えるように。そして他の地域の人達からも「北陸のマンドリンって凄いよね」と思われるような活動が出来るようになればと思っています。  金沢マンドリンアンサンブル50周年おめでとうございます。そして益々の発展を願うのではなく、目指していきます。

マンドリン 武曽 祥大(32期生)

今年10年目を迎えた、私の金沢生活はKMEと一緒にありました。職場でも家庭でもない居場所のことを『サード・プレイス』というそうですが、関西生まれ育ちで、右も左も分からない金沢に引っ越してきた、私の最初のサード・プレイスはKMEでした。KMEはいつもとてもあたたかく居心地がよかったです。 同じメンバーで演奏会をつくりあげるのは、いつも一期一会。KMEの仲間と一緒に練習して、事務局担当として準備にも奔走しながら、本番を迎えて…いつも幕が上がるとあっという間です。本番のステージだけでなく、普段の何気ない練習や休憩のひとときも大切な思い出です。これからもずっと、どこにいても、マンドリンで繋がっていたいなと思います!祝☆創立50周年!!

マンドリン 中尾 智子(35期生)

創立50周年の大切な節目に、皆さんと同じステージで演奏できること、とてもうれしく思います。 「もう演奏することはないだろう」そう思って大学卒業と同時に手放した数々の譜面。 それなのに… いつの間にかKMEで再びマンドロンチェロを演奏することに。たくさんの人と一緒に楽器を演奏することの楽しみを日々実感しています。 この先の50年もKMEが続いていきますように。100周年を迎える時には、きっと私も75歳のおばあちゃんになっていることでしょう。

マンドロンチェロ 石井 まいみ(41期生)
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